このページでは「クラシック音楽の歴史」を紹介していきましょう。
古代西洋音楽〜中世西洋音楽
古代西洋音楽とは、6世紀以前の西洋音楽を指します。記録が乏しく実態は不明で、推測の域を出ません。しかし、古代ギリシアの音楽理論や用語は現在まで残っており、特にピタゴラスが考案したとされる「ピタゴラス音律」は、その後の西洋音楽の音階の基本となりました。
中世西洋音楽とは、6世紀頃から15世紀にかけての音楽の総称です。9世紀頃にグレゴリオ聖歌がネウマ譜で記録されるようになりました。1200年前後にノートルダム楽派によってポリフォニーが開拓されました。14世紀にはイソリズムなどの高度なリズム技法によるフランスのアルス・ノーヴァの音楽、優美な旋律を特徴とするイタリアのトレチェント音楽が栄えました。
また、ジョングルール(大道芸人)、トルバドゥール・トルヴェール・ミンネジンガー(吟遊詩人、宮廷歌人)などの世俗音楽も記録に残り始めたのもこの頃です。和声は5度を基本としており、3度や6度は不協和音という扱いでした。
ルネサンス音楽〜バロック音楽
ルネサンス音楽は、ヨーロッパにおける15世紀から16世紀のルネサンス期の音楽の総称です。イギリスのジョン・ダンスタブルがヨーロッパ大陸にイギリス独特の3度・6度の和音を伝え、それが中世後期のアルス・ノーヴァの音楽やトレチェント音楽と統合されることによって始まりました。宗教音楽では3度和声によるポリフォニーが発展し、ドイツ語圏ではコラールが生まれます。世俗音楽では宮廷音楽が見られ始め、また舞曲が流行しました。
バロック音楽は、ヨーロッパにおける17世紀初頭から18世紀半ばまでの音楽の総称です。ルネサンスの静的なポリフォニー音楽に対し、16世紀末のフィレンツェのカメラータで感情の劇的な表現のためにモノディが考案され、オペラが誕生しました。宮廷音楽が発展し、多くの器楽作品が書かれました。教会旋法は長短の調に整理され、また舞曲に起源のある拍子が明確になります。またバロック時代を通じ、通奏低音による伴奏が行われました。
古典派音楽
バロック音楽は1750年代以後に古典派音楽の潮流に取って代わられることになります。この古典派の時代に活動していた音楽家には交響曲の父として知られるハイドン、『フィガロの結婚』などを作曲したモーツァルト、『運命』や『第九』などを作曲したベートーヴェンなどが有名です。均整・調和を理想とする古典主義に基づき、調和の取れた構成の形式美を追求したため、一本の旋律に和声で伴奏づけする単純・明快・論理的な様式が好まれ、対位法はあまり使われなくなりました。
楽曲の均斉感と合理的な展開が重視され、ソナタ形式が発展したことが特徴です。また、機能和声法が確立され、調性が教会旋法から独立しました。この時代の代表的な楽種としては、交響曲や協奏曲、ピアノソナタや弦楽四重奏曲などが盛んに作られた時期です。
ロマン派音楽
ロマン派音楽は、ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽です。古典主義が重視しなかった感情・感覚・直感などを重視するロマン主義に基づく。技法的には古典派の調性や和声を引き継ぎつつも、半音階や遠隔調への転調を多用し、より表情豊かな表現が追求されました。長大な作品も多い一方、性格的な小品も多く好まれます。多くのヴィルトゥオーソが生まれました。表現の基礎としての詩情や、文学と音楽の混交も重視されました。音楽以外の芸術でのロマン主義運動は1780年代から1840年代までとされるが、ロマン派音楽は19世紀を通じて続いたとされます。
1850年代以降になると、ヨーロッパ各国でそれぞれの民族音楽や固有の言語と結びついた音楽様式がはっきりしてきます。特にドイツ・オーストリアの、拡大・拡張路線を推し進めた音楽はヨーロッパ全土に広く影響を与え、「後期ロマン派」と呼ばれようになります。
その他、ロシア・チェコ・北欧諸国などでも、各国の民族主義と結びついた形で各国の音楽様式が生み出され、「国民楽派」と呼ばれ発展しました。
国民楽派
19世紀当時のナショナリズムの高まりから、ロマン派音楽の一潮流としてロシアの五人組、北欧のグリーグ、チェコのドヴォルザークなどが活躍するようになります。一般的にはこれらを国民楽派と呼びますが、少し遅れてスペイン、さらに遅れて中南米・ハンガリー・ルーマニア・アメリカでも同様の民族主義的傾向の音楽が見られます。
フランスでは国民楽派と同時期に国民音楽協会が組織され、民族主義的な音楽が追求され、印象主義音楽の土壌となっており、またブラームスは民謡への関心を示し、同様に民族主義的傾向を見せています。ドイツ・イタリア・フランスは音楽の中心地と見なされ、周辺部の現象とされる国民楽派の呼称は使われませんが、同時代現象と見なすのは容易でしょう。
印象主義音楽
ロマン派音楽に見られるような主観的表現を斥け、激しい情緒や物語性の描写よりも、気分や雰囲気の表現に比重を置いた音楽様式です。ドイツ後期ロマン派音楽への反動に始まり、中世西洋音楽・ルネサンス音楽などバロック以前の音楽様式の影響の下、長調と短調をぼかすような音楽語法、非機能的な和声法や完全音程の平行、旋法性、不協和音の多用、簡潔で明快な形式への偏愛などを特徴とします。
印象主義の音楽とは、美学的に言うと、例えばドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』に見られるように、感情を表現しようとか物語を語ろうとかするのではなく、気分や雰囲気を喚起しようとするものです。印象主義者はこの実現のために、全音音階を積極的に用いて、夢見心地の、ちょうどクロード・モネの画風に見られるような「気だるい」効果を作品にもたらします。
不協和音の全般的な活用や全音音階の利用は、結果的に和声進行が曖昧になる。17世紀以来の調体系も故意に放棄される。
新古典主義音楽
新古典主義音楽は、20世紀前半、特に戦間期に主流となった芸術運動のひとつです。19世紀にも新古典的傾向の作曲家がいなかったわけではないが、楽派や音楽思想として一大勢力をなしていたとは言いがたく、また理想とされた「古典音楽」の意味内容も、19世紀と20世紀とでは異なっていました。なお、「新古典主義音楽」は、明確な思想や主義主張に基づく芸術運動であり、「新古典派」のように訳すことはあまり好ましくないようです。
20世紀の「新古典主義音楽」運動は、フランスやイタリア、ロシアなどの非ゲルマン系作曲家によって興され、ドイツ・ロマン派音楽と、その残滓であるフランス印象主義音楽やドイツ表現主義音楽を一括して否定するところから始まりました。新古典主義音楽がこれほどの勢いを持ったのは、第一次世界大戦への嫌悪感や、ドイツ音楽の低落とそれ以外の音楽の目覚しい成長、そして主にフランス留学組によるアメリカ人作曲家がこの音楽運動の主な担い手となったことによります。さらに、19世紀の擬古的な作曲家と違っていたのは、この運動の担い手が議論好きの論客であり、自らの音楽美学を理論武装していたことです。
近代音楽〜現代音楽
20世紀以降の音楽のうち、西洋クラシック音楽の流れをくむものを指します。実験的・前衛的な音楽としての形式を指す場合もある。20世紀初頭から第一次世界大戦開始まではロマン派の最終段階と考え、近代音楽の開始を第一次世界大戦の初めとする例も多いです。
また「近代音楽」と「現代音楽」の境界に関しても、第二次世界大戦・1950年・境界なしなど様々な考え方があり、この時代の音楽史の扱いに関して定説はないが、概ねどの考え方に従っても二度の大戦を基準に分けて考える場合が多い。
第一次世界大戦まで
マーラーやリヒャルト・シュトラウス、シベリウスらが後期ロマン派音楽を継続する一方で、後期ロマン派音楽が表現の拡張を進めた結果、調性・機能和声・規則的リズムなどのそれ以前の西洋芸術音楽の語法の限界がより若い世代の作曲家達に意識され、様々な実験が始められた時代です。
印象主義音楽は全音音階や平行和音や教会旋法の復活や非西欧要素を導入し、新ヴィーン楽派は無調音楽による表現主義へと進み、ストラヴィンスキーは原始的リズムの音楽的価値を見なおし、バルトークは民族音楽に可能性を見出しました。またこの時代を通じて打楽器の種類が大幅に増え雑音(非楽音)を音楽の材料にする可能性を開きます。
両大戦間
第一次世界大戦後、作曲家たちはよりラディカルにロマン派音楽の否定にかかります。オリジナリティの否定は型の復活や過去の作品の引用・パッチワークとなり、ロマン的な感情の否定は機械的リズムの多用を生み、また演奏スタイルも変化しました。こうした傾向は新即物主義や新古典主義と呼ばれます。
一方、新ウィーン楽派は無調音楽の組織化のために十二音音楽へと進みます。反面、部分的に近代的な語法や感覚を取り入れつつもロマン派音楽の延長線上にある音楽を書き続けた作曲家達も存在しました。1930年代に入ると、ナチス・ドイツは前衛的芸術全般を「退廃芸術」と呼び弾圧し、ソ連ではスターリン体制が「社会主義リアリズム」を推進するなど、新しい音楽を追究する動きは苦境に立たされます。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦は第一次世界大戦以上にヨーロッパに甚大な被害をもたらし、社会的・文化的な基盤を広範に破壊し、数多くのヨーロッパの音楽家がアメリカに亡命し、聴衆も作曲家も演奏家もそれまでになかったような物質的・精神的困難を抱え込むようになりました。
戦後の復興と共に、前衛音楽の闘志たちが活躍を始め、1950年代からブーレーズ、シュトックハウゼンらによるセリー音楽、電子音楽や直観音楽、ケージによる偶然性の音楽、シェフェールによる具体音楽、1960年代からライヒらによるミニマル・ミュージックなど、様々な実験、探求が行われ、聴衆の関心は前衛音楽の新作から既存の曲の演奏や録音やポピュラー音楽に移って行った。
これらの実験が一通り終了した1970年代からの音楽は「ポスト・フェストゥム」「新ロマン主義音楽」「新しい単純性」など様々な名称で呼ばれ、これらを音楽史としてどのように把握するのかは未だ定説があるわけではない。現代音楽の代表的な作曲家にはメシアン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ケージ、リゲティ、クセナキスなどがいる。