このページでは「有名な作曲家と代表曲」を説明していきましょう。
バロック音楽
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685 - 1750)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(以下「J.S.バッハ」)は西洋音楽史上、最も重要なバロック音楽の作曲家と考えられており、日本では「音楽の父」と呼ばれます。教会カンタータ、鍵盤音楽、室内楽の多くの作品を残しており、J.S.バッハの作品番号はバッハ作品主題目録番号(BWV)で通番されます。
協奏曲や室内楽などでは当時のヨーロッパで流行していた様式に則った音楽を作った一方、J.S.バッハ作品のフーガに見られる「対位法」への傾倒は、当時には反時代的なものとして評価されていたようです。また、J.S.バッハはオペラを全く作曲しませんでした。
数多いバロック時代の音楽家の中で、J.S.バッハは初期バロックから彼の時代までのバロック音楽の様式を熟知しており、それらを高度に駆使して自らの作品に反映させたという点で、バロック音楽を集大成した作曲家といえます。
古典派音楽
古典派の最盛期はウィーンを中心とした流れであり、そこで活動していた作曲家は「ウィーン古典派」と言われます。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756 - 1791)
モーツァルトは幼い頃から音楽の才能を発揮し、何度もウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行を行っていました。
モーツァルトの作品はほとんどが長調で、装飾音の多い軽快で優美な曲が多く、聴衆にとっても明るく華やかに聞こえる作品ばかりです。これはロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれる、当時の音楽の流行を反映したものです。彼がおもに使用していたピアノの鍵盤が沈む深さは現代のピアノの約半分であり、非常に軽快に演奏できるものであったこともその作風にも影響を与えました。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 - 1827)
ベートーヴェンは音楽史上で極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれています。作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えました。
40歳ごろに耳が全く聞こえなくなってからも作曲をやめることはありませんでした。そうした苦悩の中で書き上げた「交響曲第9番」や「ミサ・ソレムニス」といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の境地を体現した作品といえます。
ロマン派音楽
フランツ・シューベルト(1797 - 1828)
シューベルトはウィーン生まれの前期ロマン派音楽を代表する作曲家です。多くの歌曲や交響曲を残しており、日本では「歌曲の王」とも呼ばれます。
音楽、人生はウィーン古典派の強い影響下にあり、記譜法や基本的な作曲法も古典派に習ったものでした。貴族社会の作曲家から市民社会の作曲家へという点ではロマン派的であり、音楽史的には古典派とロマン派の橋渡しであるといえ、一般的にはロマン派の作曲家として分類されます。
フレデリック・ショパン(1809 - 1849)
ショパンはポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家です。当時のヨーロッパではピアニストとしても、作曲家としても有名でした。日本では「ピアノの詩人」とも呼ばれます。
作曲した曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などにより、ピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽表現の新しい地平を切り開いた作曲家です。
セルゲイ・ラフマニノフ(1873 - 1943)
ラフマニノフはロシア出身の作曲家でありピアニストであり指揮者です。作曲手法としては調性音楽に収まった音楽であり、一般的にはロマン派音楽に分類される作曲家です。ロマン派特有の甘美でロマンティックな叙情に溢れたメロディの中、陰鬱さや苦悩を感じさせる作品が多く、ピアノ作品を中心に様々な傑作を生み出しました。
ラフマニノフは身長2メートルにも達する体格と大きな手の持ち主で、12度を左手で押さえることができたと言われています。12度が届くとは、ピアノの鍵盤上では、左手ならば小指で"ド"の音を押しながら、親指で1オクターブ半上の"ソ"の音を鳴らせることになり、ピアニストの中でも稀な手の大きさでした。
そのため、作られる曲も大きな手を前提としたもの、かつ高度な技術を必要とするものが多く、実際ラフマニノフ自身も演奏家としてヴィルトゥオーゾと称されていました。