東京五輪や人気アーティストのイベントでは、必ずといっていいほどチケット転売が見られる。しかし、ネットオークションでは様々なものが出品されており、イベント限定グッズなども堂々と販売されているが、法律的には禁止されているとはいえない状況だ。なぜチケット転売はなぜ悪なのか、チケット以外の転売とは何が違うのか、考えていこう。
チケット転売とは?
チケット転売とは、販売数が限られた人気チケットを販売価格よりも高額で売る行為のことだ。
法律的には2019年6月に施行された「チケット不正転売禁止法」により禁止されるようになった。それまでは地方自治体が制定する条例によりダフ屋行為が禁止されている程度だったが、本法律により法的に罪を問えるようになった。
それでもなお、大量の転売は繰り返されている。そもそも法的に罪を問うためには2つのポイントがある。
ひとつには転売禁止となるチケットには条件があるということだ。チケットに「主催者の同意無く有償譲渡を禁止」「購入者の氏名や連絡先を確認」という事項を「チケットに表示すること」が必要だ。書いていない場合は本法律の対象外だ。
もうひとつが「業として」転売を行なっているかという点である。「業として」というのは判断が分かれるところだが、薬事法では2ヶ月に2回でも「業として」行なったと認めらた判決があり、回数や頻度で線引きをするのは難しいだろう。
オークションサイトも野放しにはしておらず、大量出品している出品者はアカウント停止などの対応をしている。しかし全ての転売を取り締まっている訳ではなく、販売価格の40倍にもなる金額での出品も散見される。彼らの言い分は、出品価格自体は出品者が決めることであり、あくまで「ファンどうしが納得できる価格で取り引きをする」ための仲介をしているという主張であり、全てを取り締まることは難しいようだ。
チケットの本源的価値とは
もし経済的に十分に大量に供給があるのであれば、その価格は需要と供給のバランスが均衡する価格で落ち着くはずだ。それは少なくても、原価を上回る価格がつくだろうが、あまりにも原価とかけ離れる価格がつくこともない。
コンサートやライブのチケットは2つの意味で価格をつけにくいと考えられる。
1点目の理由はチケットには数の上限があることで、需要と供給のバランスが均衡するポイントを予測することが難しいことだ。そもそも初動でほとんど売れなければ、あまりにもチケットが売れ残ってしまうし、後から値下げするというのは最初の購入者から理解を得られない。ぎりぎりで売り切る価格を設定することが困難なのだ。
2点目の理由に、チケットは「経験」に対して払う価値であり、普遍的な価値をつけにくい。もちろんイベントを開催するために必要な原価は存在するが、購入者が求めているのは曲を聞くというよりも、参加するという「経験」に対して支払う対価であり、そこにどれほどの価値があるか、いくらで売れるのかを見積もるのが極めて難しい。
なぜ高額転売でも買ってしまうのか?
転売される商品を購入する人は、なぜ転売とわかっていても購入するのだろうか?それは転売価格以上にその商品の価値が高いと思っていることだ。例えば、人気アーティストの熱狂的ファンであれば、数万円出してでもコンサートを見たいという考えを持っているのだろう。
どうしても欲しいというのであれば、もはやコンサートによって得られる楽しみを超えて高くても買ってしまう。
ちなみに不当に転売されたものを買う方も罪で問われる。チケット不正転売禁止法や都道府県条例で定められたもの以外でも、「物価統制令」に基づき罰せられた例が存在する。
転売の経済的本質とは
転売が悪なのかといえば、白黒はつけにくい。そもそもチケットの販売価格を低く設定しすぎているのかもしれないし、その価格設定に対する妥当性については人により意見や感じ方が異なる。
通常の商取引、例えば卸売でも本質は「安く仕入れて高く売る」ということであり、転売と何が違うのかは線を引きにくい。そこで経済的価値を生み出しているものは、仕入れをまとめて行うことで小売店の負荷を減らすことかもしれないし、単に価格差を生じさせているだけで本質的には付加価値を創出していないのかもしれない。
ただ、娯楽の場でも「金があればなんでも解決できる」というようなイメージを持たせることは、娯楽の夢や世界観を壊すことに繋がり好ましくない。コンサート会場の目の前で転売行為が行われていれば、正規の方法でチケットを手に入れた人もせっかくのイベントが始まる前から興ざめだというものだ。